40年前に学んだ人工知能はオモチャのようで、とても実務には使えないものだった。それが近時の目を見張る躍進ぶりは一体何が起こっているのか。そこにはどのような技術的飛躍があったのか。知りたい。これが入学の動機だった。人生に残された時間があとどれくらいあるかなんてもちろん誰にも予測できない事だが、意に染まない時間を会社のデスクで過ごして使い減らすことはしたくなかった。
学びの場に長幼の序など無用で、知らぬ間に染み付いた「社内のお作法」や「業界の常識」 といったものが洗濯されて行くのは爽快だった。様々な会社の最前線で働く人や仕事の垢に未だまみれていない若者とも同級生として机を並べてフラットに議論することも新鮮だった。自らの老いをつい忘れてしまう気持ちの若返り効果は毒か薬か。時はあっという間に過ぎて行く。
データサイエンスは間口が広く、適用する分野を選ばない。私は特定課題(修士論文)に経済効果などとは無縁な学際として考古学を選んだ。出会いの偶然が生んだ研究は本人の思惑を超えて反響を呼び、その成果(と近時の人工知能について)を研究員としてあちこちで喧伝する日々となった。
あの日、広告に目をとめて応募する事を決めた時からは思いも寄らない人生がいま拓けている。予測不能だ。それが面白い。